無題

2007/02/16 科学・学問

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MSN-Mainichi INTERACTIVE 理系白書
流行現象になるような疑似科学ってのは、わりとどーでもいい領域に発生しやすい。切実さを欠いた領域っていうか。納豆でダイエットができる、というのは流行になるけど、納豆で末期癌が治るとは誰もいわん。いや言う人はいるかもしれないけど流行らない。生死に関わるような問題は自ずと判定もシビアになるからだ。半信半疑で、まあ当たるとなんかいいよね、くらいのポジションにある疑似科学がおそらく一番流行しやすい。もちろん病気や不幸に追いつめられた人々をだます悪質な疑似科学と言うのは昔から存在するけど、それは大流行するようなものとはとりあえず別だということにしとく。
血液型性格判断ですが、これほど人口に膾炙しているのは、実のところ我々が個人の性格というものを軽視してるからじゃないか。人間が一人一人持っている性格なんて、どうでもいいと思ってるのだわしらは。それぞれ違った個性を持つ人間が無数に絡み合って社会を作っている…なんてややこしい図を想像する習慣が私たちには多分、ない。せいぜい数種類の類型が適当に混じりあって生活しているのだと考えた方が簡単でよろしい。それが私たちのイメージする"世間"だ。
あるトピックに関わる疑似科学が流行する時、そのトピックについて潜在的に軽視する態度が社会にあることが伺える。
いやもちろん軽視だけでは流行にはならないだろう。やはり人を惹き付けるものもなければならない。疑似科学がよく扱う「健康」や「よりよい人生」、「人間のあり方」というトピックは人を惹き付ける。人を惹き付けるけど、真剣に取り組みはじめるとものすごいコストがかかる。それらの主題において、人の建前と実質は乖離している。その隙間をついて疑似科学が勢い良く成長する。
言葉が水に影響を及ぼすと言う『水からの伝言』は、言葉を軽視する疑似科学だ。血液型性格判断は、性格を軽視する疑似科学だ。納豆ダイエットがダイエットを甘く見た流行だったのは言うまでもない。
疑似科学の流行が時に外から見る人をぞっとさせるのは、それが人間の思考を空疎化しているからだ。俗流スピリチュアリズムはスピリットについてちっとも真剣に考えていない。しかし信奉者はそう感じていない。感じないために信奉者はそれを信じている。

http://anond.hatelabo.jp/20070216022334

【ブクマコメント】
id:ochame-cool: どうでもいい領域というより、「効果がどうでもいい」のだと思う。効果がないので副作用もない。だから障壁なく広まる。世の中「リスクとリターンはバーター」という原則を忘れがちな人が多い。
id:raitu: 「せいぜい数種類の類型が適当に混じりあって生活しているのだと考えた方が簡単でよろしい。それが私たちのイメージする"世間"だ。」 最近、人付き合いでは皆お互いをキャラ付けする傾向があるのを思い出した。
id:morutan: 自然科学領域はそうかもしれないけど、広くDQNな世相として捉えた場合はどうだろう。分かりやすい言葉とジャーゴン(ゲイ学)の間の問題
id:tomo-moon: 個人の性格ってのは、至極曖昧なものだからなー
id:SeiSaguru: ふむ。でも、納豆ダイエットを信じる人は悪徳宗教などにハマるルートを選んでる気もするけどね。血液型は…初対面トークの1つだろー。私はこういう性格ですっていうのを言い易くしてるだけにゃ。
id:yuuboku: アルカリイオン水なんて流行ったけど、水の場合は似非でも被害が認識されにくいので流行るそうだ。まさに水商売。
id:graph: 疑似科学って世界に対する手抜きだよな。
id:ken_wood: >で血液型性格判断ですが、これほど人口に膾炙しているのは、実のところ我々が個人の性格を軽視してるからじゃないか。疑似科学の流行が外から見る人をぞっとさせるのは、それが人間の思考を空疎化しているからだ。
id:musmmd: ?重視してるけどコストが安いから流行るんでないのかな

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20070216022334